『高橋ヨシキのシネマストリップ 戦慄のディストピア編』 試し読み
どんなシステムにも抜け穴はある
『マイノリティ・リポート』
(2002年・アメリカ/原題:Minority Report)
監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:トム・クルーズ/コリン・ファレル/サマンサ・モートン/マックス・フォン・シドー
〈あらすじ〉
テクノロジーが進歩した近未来の世界では、殺人犯が実際に事件を起こす前にそれを予知し、警察が事前に逮捕できるというシステムが採用されていた。犯罪予防局で働く刑事ジョン・アンダートン(トム・クルーズ)は、ある日自分自身が殺人事件の容疑者となってしまう。追う側から追われる側になってしまった彼の運命は……?
犯罪が起こる前に逮捕する予防警察
少し前のニュースに、こんな記事がありました。
◎独ベルリン警察、犯罪予測ソフトの導入を検討(2014年12月3日AFP)
犯罪の発生を予測するソフトウエアの導入がドイツ・ベルリンの警察で検討されている。このプロジェクトは、米SF映画『マイノリティ・リポート』に登場する予知能力者らにちなんで「Precobs(プリコブス)」と命名された。
(中略)
このソフトウエアは、さまざまなデータに基づき、犯罪が発生する可能性が最も高い時間と場所を予測する。
(中略)
Precobsは、家宅侵入などの過去の犯罪が起きた場所や時間などの詳細に関するデータに依存している。新たな事件の通報があると、プリコブスはそのデータを分析し、未来の犯罪対象を示唆するパターンを探す。
(中略)
人権活動家らは、2日の独日刊紙ベルリナー・ツァイトゥング(Berliner Zeitung)で、現在の匿名データの代わりにゆくゆくは個人情報が用いられる恐れがあるとの懸念を表明した。(C)AFP
◎元記事のURL
http://www.afpbb.com/articles/-/3033259
我々は既に文字通りの超・監視社会を生きています。わけてもイギリスや日本は監視カメラ大国として知られており、至るところに設置された監視カメラが四六時中、ぼくやあなたを見張り、記録し、そのデータをどこかへ送信し続けています。イギリス全土には推定で400万台〜590万台もの監視カメラが設置されているということですが(英国セキュリティー産業協会〈BSIA〉のレポートによる)、日本も負けてはいません。一説によれば、2016年の時点で既に500万台を超す監視カメラが設置されているといいます。イギリスや日本の都市部に暮らす住民はこうした監視カメラによって、1日に200枚〜300枚もの写真を撮られています。仮に1日に200枚撮られるとした場合、1年で7万3千枚という膨大な「あなたの写真」が、誰かのもとへと送り届けられ、分析され、分類され、保存されているわけです。
「監視カメラが沢山あって、なんだか嫌な感じだなあ」とぼくはいつも思っているのですが、こうやって数字にしてみることで、日々自分がどれだけ監視されているのか実感できるようになります。
監視カメラの存在によって落ち着かない気分にさせられるのは、後ろ暗いところがあるから……ではありません。そうやって得られた情報や映像をもとに、「こいつは後ろ暗いところがある奴に違いない」と判断する権限が権力の側にあり、なおかつ、その判断基準を彼らが勝手に変えることができるからです。また、これについては後述しますが、プライバシーというものはそもそも「後ろ暗いことを隠すため」にあるのではありません。しかし監視カメラを設置する側はその前提を共有していないばかりか、「絶え間なく監視されている」という状況がどれほど個人の自由にとって脅威となり得るかについては、その可能性すら存在しない、とでも言いたげです。
2002年のスティーヴン・スピルバーグ監督作『マイノリティ・リポート』は「予防警察」の恐怖を描いた未来SFですが、同時に既に半ば現実となった超・監視社会の様子をグロテスクに戯画化して見せた作品でもあります。原作はパラノイアックな作風で知られるフィリップ・K・ディックの同名の短編小説です(小説の方は、以前は『少数報告』という邦題で知られていました)が、小説と映画はかなり異なるものになっています。
舞台は2054年のワシントンD.C.です。この世界には「プリコグ」と呼ばれる、未来を予知できるミュータントが存在します。プリコグは新しい種類のドラッグの副作用で生まれたのですが(母親がそのドラッグの中毒になった結果ミュータントが生まれたという設定)、これはデヴィッド・クローネンバーグ監督の『スキャナーズ』(1981年)と似ています。
トム・クルーズ演じる主人公ジョン・アンダートンはプリコグを使って犯罪を予知する「犯罪予防局」の職員です。犯罪予防局のシステムは3人のプリコグ(彼らは半覚醒の状態で機械に接続されています)が殺人事件の予知を行うことで成り立っています。プリコグたちの脳内に出現する断片的なイメージ映像を解析することで、これから起きる殺人事件の場所と時間を特定、現場に急行して、実際に殺人が行われる「前に」犯人を逮捕するわけです。この予防警察システムは今のところワシントンD.C.でのみ試験的に採用されているのですが、システム導入後の殺人事件の発生率はゼロになっています。この成果を受けて、同様のシステムをアメリカ全土に広げる計画も進行中です。
アンダートンは犯罪予知システムに絶対の信頼を置いています。彼はかつて、自分の子供を誘拐事件によって失っているのですが、そういう事件を二度と起こさないためにも予知システムは絶対に必要だと考えています。また実際、これまで予知システムが失敗したことはないので、内部調査の役人がやってきても動じるどころか、自信たっぷりにシステムの優位性を語ってみせるほどです。
ところがある日、プリコグが驚くべき犯罪予知を下します。なんとアンダートン自身が殺人事件を起こすというのです。プリコグは殺人事件の加害者と被害者、それに犯行が行われる時刻などを予知することができるのですが、アンダートンが「殺すことになる」と予知された相手=被害者は、まったく見ず知らずの人物でした。また、予知映像に映っている背景も、彼が行ったことがない場所のようです。自分が全幅の信頼を置いていたシステムによって犯人と断定されたアンダートンはこれまでの立場から一転、同僚だった予防警察の面々から追われる身となってしまいます。
綿密に練られた未来考証
本作は、脚本を読んで気に入ったトム・クルーズがスピルバーグのところに「こういう企画がやりたい」と持ち込んだところからスタートしました。脚本を一読したスピルバーグは、2054年という近未来の世界を描くにあたって、都市計画や交通システムの専門家の助言を仰ぐことにしました。リアリティのある未来像を構築するため、彼らは3年かけて丁寧なリサーチと予測を行いました(本職のある人たちですから、3年間このプロジェクトにかかりっきり……というわけではないと思いますが)。その結果、『マイノリティ・リポート』は細かなディテールに至るまで、綿密な未来考証が練られた作品になりました。
プリコグたちが幻視する予知映像はイメージの断片です。巨大なモニターに映し出されたイメージの断片を、アンダートンは手際よく整理していきます──まるで指揮者のような手つきで。モーション・センサーにより、ジェスチャーを使ってコンピュータを操作しているわけですが、TVゲーム好きの人ならご存知の通り、この技術は既に実現しています。現在注目を集めている自動交通システムも出てきます。車はリニア式のモジュールのようなものになっており、ハイウェイに渋滞はありません(このシステムでは水平移動だけでなく、垂直にも移動することができます)。コンピュータが最適化した速度と間隔で交通をコントロールしているからです。この未来式移動システムは劇中で「マグレヴ(Magnetic Levitation/「磁気による浮上」の意)と呼ばれていますが、「マグレヴ」自体は磁力を使ったリニア式の交通を指す言葉として、既にあったものです。
『マイノリティ・リポート』の未来世界にはプライバシーというものがほとんどありません。街中だろうが電車の中だろうが、至るところに小型のカメラが設置されていて、虹彩認証によって個人を絶え間なく特定し続けています(現実では、AIによる顔認識の技術が急速に進化しつつあるので、虹彩で個人を特定する時代が来るかどうかは微妙になってきました)。そうすることで、個人を狙い撃ちにした広告が可能になっています。街を歩いていると、モニターの内容が歩行者に応じて次々と切り替わり、「ジョンさん、ここで一杯やりませんか?」「あなたにぴったりの服がありますよ」と語りかけてくるのです。これはAmazonが購買記録から消費傾向を割り出して、ひとりひとりのユーザーに適したおすすめ商品を表示するシステムとそっくりです。これを「行動ターゲティング広告」といいますが、『マイノリティ・リポート』の世界では外を歩いていても個人が特定されて、その人に直接アピールする広告が表示されるシステムが完成しているわけです。リアリティもあるし、ちょっと怖くなる設定でもあります。
未来の警察は「スパイダー」という小型のロボットを使って家宅捜索を行います。怪しい人間がどこかのアパートに逃げ込んだぞ、というようなとき、警察はその人物が潜んでいると思われる建物にスパイダーを何台も放ちます。自立して動き回るスパイダーは、ドアの隙間から入れるほど平べったく小さいロボットなので、隙間に詰め物でもしない限り彼らの侵入を防ぐことはできません。スパイダーに抵抗することは犯罪なので、人々は夫婦喧嘩の途中であろうが、セックスの最中であろうが、あるいはトイレで排便中であっても、侵入してきたスパイダーが目をこじ開けて虹彩をチェックするのを拒むことはできません。プライバシーは完全に損なわれています。
(この続きは『高橋ヨシキのシネマストリップ 戦慄のディストピア編』でお楽しみください)
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