『町山智浩のシネマトーク 怖い映画』 町山智浩・著
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はじめに
街は恐怖に包まれています。
人々は見えない悪魔を恐れ、家を出ることもできません。隣に住む親切な主婦の中にも、それが潜んでいるかもしれません。いや、すでに自分の中に入っているかも。
テレビを観れば、毎日、死者の数が増え、防護服を着た人々が死体を運んでいます。大統領は緊急事態を叫んでいます。「これから何十万もの人が死ぬだろう」と。
自分が住むカリフォルニア州では自宅待機がもう3週間も続いています。こんな経験は生まれて初めてです。でも、妙に落ち着いている自分もいます。どうも初めてに思えないから。何度も観てきたから。映画で。
スティーヴン・キングの小説『ザ・スタンド』や『ミスト』で。ジョージ・A・ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968年)や『ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖』(1973年)で。トイレットペーパーを求めて店に群がる人々を見た時は、『ゾンビ』(1978年)でショッピングモールに群がるゾンビを思い出しました。
そんな怖い映画が僕は大好きで、子どもの頃から片っ端から観てきました。でも、実は僕は誰よりも怖がりなんです。この歳になっても映画館で座席から飛び上がったり、手で目を隠して指の間から観たりもします。それなのに、なぜ、怖い映画が大好きなのか? 人はなぜ、お金を払ってまで怖い映画を観るのか?
死、殺人鬼、亡霊……どれも本当に怖いからこそ、映画館という安全な場所でそれを疑似体験しようとするのかもしれません。薄めた病原菌を注射して免疫を作るように。
怖い映画にもいろいろあります。観ている間はジェットコースターに乗っているように悲鳴を上げても、映画が終わると綺麗さっぱり忘れてしまう映画もあれば、観ている時はそれほどでもないのに、観終わった後も怖い気持ちがなかなか消えない映画もあります。
そういう映画は、いったい何が怖いのか、わかりにくいことも多いです。
たとえばゾンビ。動く死体だから確かに不気味だし、人を食うから危険ではあるけど、動きは遅いし、知恵はないし、弱い。そんなゾンビのどこが怖いのか?
圧倒的な数で押し寄せ、包囲し、迫りくる、食べることと増えること以外に意思を持たない群れ。倒しても倒してもキリがない。あなたがどんなに頑張っても結局は数の力に負けて、いつかは彼らに呑み込まれてしまう……。
それって同調圧力? いや、ウイルス?
こけおどしでない怖い映画は、人々の潜在的な恐怖心を突いています。だから、どんな感動的な映画よりも人間の心を深く鋭く描いているんです。それについて考えてみたのが、この本です。ご笑覧ください。
2020年4月 町山智浩
(この続きは『町山智浩のシネマトーク 怖い映画』でお楽しみください)
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