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『町山智浩のシネマトーク 怖い映画』 町山智浩・著
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ゾンビを通して暴かれるアメリカのダークサイド

『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』
1968年/アメリカ
監督:ジョージ・A・ロメロ
出演:デュアン・ジョーンズ、ジュディス・オーディア、カール・ハードマン、マリリン・イーストマン、キース・ウェイン


恐怖のツボ

ゾンビ映画の元祖、ジョージ・A・ロメロ監督のゾンビ映画シリーズ第1作目『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968年)についてお話しします。
ロメロ監督は、ピッツバーグという鉄鋼の街でこの映画を撮りました。制作費が11万4000ドルという超低予算映画だったにもかかわらず、アメリカ全土で大ヒットしました。ヨーロッパでは、批評的にも絶賛に次ぐ絶賛。フランスの『カイエ・デュ・シネマ』といった映画雑誌でも超絶賛を受けました。にもかかわらず、当時の日本では公開されませんでしたね。

『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の何がそんなに素晴らしかったのか?
スティーヴン・キングは『死の舞踏:恐怖についての10章』(筑摩書房)という本で「ヒットするホラーは、その時代に人々が恐れているものをえぐり出している」と書いていますが、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』はまさに1968年の人々の恐怖のツボを突いていたんですね。ここではそれを探っていきます。

ロメロはアート派である

ジョージ・A・ロメロは1940年にニューヨークのブロンクスで生まれました。キューバ系のお父さんとリトアニア系のお母さんの間で育った、非常に熱心なカトリックの家の子どもでした。彼は12歳の頃にテレビで1本の映画に出会って、その衝撃で映画監督を目指したといいます。
意外にもそれはホラー映画ではなく、『ホフマン物語』(1951年)というオペラ映画でした。イギリスのマイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーという監督コンビによる、芸術的な作品です。
『ホフマン物語』はE.T.A.ホフマンという作家の小説をいくつか組み合わせた話で、そのなかには、『コッペリア』があります。バレエでも有名ですね。人形師のコッペリウスがオリンピアという美しい人造人間みたいなものを作って、それに恋してしまう物語です。ホフマンは『くるみ割り人形』の原作者として有名ですね。メタリカの「Enter Sandman」(1991年)という歌がありますが、ホフマンは砂をまいて人を眠らせる『サンドマン(砂男)』という小説も書いています。つまり、ちょっとホラー的なんです。

僕がピッツバーグにあるロメロ監督の自宅にお邪魔した時、「『ホフマン物語』というアート映画がきっかけで監督を目指したのに、なぜホラー映画を作り始めたんですか」と尋ねたら、「いや、私にとっては『ホフマン物語』はホラー映画だったんだ。怖かったんだよ」と言っていました。
『ホフマン物語』は美しいカラー映画なんですが、ロメロがテレビで観た時はモノクロだったそうです。それは怖かっただろうなと思います。

つまりロメロのホラー映画の原点はアートだったわけです。日本で初めて正式に公開されたロメロ作品は『ゾンビ』(1978年)ですが、僕は最初に『ゾンビ』を観た時、冒頭からいわゆるホラー映画と全然撮り方が違うので驚きました。最初は画面全体が真っ赤で、そこからカメラが横にパンすると、赤い壁に寄りかかったヒロインの顔がフレームインするんです。まだ中学生でしたけど、「カッコいい! まるで『ウルトラセブン』みたい」と思いました。『ウルトラセブン』は実相寺昭雄監督などがヌーヴェル・ヴァーグの斬新でスタイリッシュなカメラワークを取り入れていたからです。

『ゾンビ』でいちばん印象に残ったのは、主人公たちが立て籠もっているショッピングモールの屋上で優雅にテニスをする場面です。屋上から落ちたボールをカメラが追うと、下はゾンビでいっぱい。まさに天国と地獄です。
天才的な場面だと思いましたが、その後、巨匠・溝口健二監督の『東京行進曲』(1929年)というサイレント映画を観て驚きました。山手の上流階級の男女がテニスをしていて、ボールが落ちると、その下には貧乏人の長屋がある、というシーンがあるんです。「うわ、『ゾンビ』の原点は溝口だったのか!」と背筋がゾクゾクしました。

ちなみに『エルム街の悪夢』(1984年)のウェス・クレーヴン監督の『鮮血の美学』(1972年)も溝口健二を模倣しています。ならず者たちに襲われた女性が自分から池に入っていくシーンの撮り方が、溝口健二の『山椒大夫』(1954年)でヒロインの安寿(香川京子)が自ら池に入って死んでいくシーンとまったく同じなんです。『鮮血の美学』のストーリーはイングマール・ベルイマンの『処女の泉』(1960年)を元にしていますから、ウェス・クレーヴンもロメロと同じく、アート映画が基礎にあるんですね。

ピッツバーグとベトナム

ロメロはピッツバーグの名門カーネギー・メロン大学に入って、それ以降、ピッツバーグで暮らしました。ハリウッドに行かず、基本的にピッツバーグで映画を作り続けました。

ピッツバーグというところは、ちょっと東欧の街みたいなんです。てっぺんに丸い金色のドームがついたロシア正教の教会があちこちに建っているからです。実際、ロシアとかチェコとかポーランドとかハンガリー系の人たちが多いんです。
『ディア・ハンター』(1978年)に描かれている通りです。あの映画はピッツバーグの周辺にあるアレンタウンという実在の街が舞台で、主人公はロシア系の青年たち。ロシア正教の教会で結婚式をして、コサックダンスを踊りますね。
彼らはベトナム戦争に行きます。当時、祖先の母国が共産圏になっていたアメリカ人は共産主義に対する反発が強く、ベトナム戦争を強く支持しました。反戦デモ隊に襲いかかったりもしたくらいです。

しかし、ベトナムは地獄でした。アメリカ兵は敵である北ベトナム正規軍だけでなく、南ベトナム市民に混じっているベトコン(南ベトナム解放戦線のゲリラ)とも戦わねばなりませんでした。非戦闘員とゲリラの見分け方は極めて難しく、しばしば、恐怖にかられた米軍による民間人虐殺事件が起こります。
さらに、ベトナム戦争は「テレビで中継された史上初の戦争」でした。アメリカ人はテレビで、戦場の生々しいニュースを毎日のように観ることになります。特に1968年1月の「テト攻勢」では、北ベトナム軍とベトコンが首都サイゴンをはじめ、南ベトナムの主要都市を一斉に攻撃しました。普段着の人々がゲリラとなってアメリカ軍を銃撃する、凄まじい市街戦がテレビで放送されたんです。
しかも、戦場は海の向こうだけではありませんでした。アメリカ各地で人種暴動が発生していたのです。

人種暴動と公民権運動

1865年に南北戦争が終わり、黒人奴隷が解放されましたが、黒人に対する差別はその後も続いていました。南部では人種隔離が続き、選挙権も奪われたままでした。南部の綿花農園の奴隷だった黒人たちは、仕事を求めて北部の工業地帯に移住しましたが、そこでも差別はあり、昇進はできないし、警察官も黒人に暴力を振るっていました。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師は、ボイコットやデモ行進による非暴力的な運動で、1964年に人種隔離を撤廃させ、翌65年には選挙権獲得を達成しました。しかし、それだけでは南北戦争から100年で積もり積もった黒人の鬱憤を晴らすには不充分で、各地で暴動が起こり始めたんです。

1965年8月、ロサンジェルス、黒人が多く住むワッツ地区で、警察官による黒人への不当な逮捕に怒って住民が暴れ、警官は銃撃で応戦し、死者34人、負傷者1000人を超える惨事になりました。
1967年にはデトロイトで暴動が発生します。原因はやはり警官による黒人に対する不当な逮捕と暴力でした。この時も軍隊が出動して大量の死傷者が出ています。 ベトナム戦争と人種暴動の共通点は、普通の人々が突如、ゲリラや暴徒と化して襲いかかってくることですが、そうした殺伐とした世相の中で1968年に封切られたのが『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』なんです。

これはアメリカについての映画

『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』は墓地から始まります。その墓地には墓石のところにいくつか小さい星条旗が立てられています。それはたいてい、戦死者の墓なんです。その星条旗に「ジョージ・A・ロメロ監督」とクレジットが重ねられます。「これはアメリカについての映画です」という宣言ですよね。
同じホラー映画でも、たとえば『リング』(1998年)で日の丸の旗がアップになって、そこに「監督 中田秀夫」と出たらどうでしょう? 何やら非常に政治的になりますよね? ロメロはそれをやっているんです。これは、オバケや幽霊の怪談ではなくて、アメリカの現実を描こうとしているんだ、という宣言のようにも見えます。

その墓地に20代の兄妹が、父の墓参りに訪れます。妹のバーバラ(ジュディス・オーディア)はひざまずくんですが、兄のジョニー(ラッセル・ストライナー)は冷笑します。「お兄さんは教会にも行かないわね」と言うバーバラに、ジョニーは「僕はもう教会に行く意味がよくわからないんだ」と答えます。
1950年代までアメリカ人は、日曜日には家族で教会に通うのが伝統でしたが、この兄弟のように大戦後のベビーブームで生まれた、いわゆるベビーブーマーは、キリスト教への信仰心を失っていきました。そして、60年代はカウンターカルチャーと呼ばれる、ベビーブーマーによる既成の価値観への反抗の時代になりました。

そこにゾンビが襲いかかってきて、兄ジョニーはすぐに殺されてしまいます。ゾンビは吸血鬼のように十字架や聖水では倒せない、神なき時代のモンスターです。

バーバラは、近くの農家に逃げ込みます。周りには何もない野中の一軒家です。そこでベン(デュアン・ジョーンズ)という黒人の青年と出会います。
これだけでもう当時は大センセーションだったんですよ。その頃、黒人が主演の映画はハリウッドでもほとんど作られていなかったし、この極限状態で若い白人の女性と若い黒人の男性が一軒家に閉じ込められるという状況は、非常にセクシャルで、人種的に問題のあることだったんですね。なにしろ南部では、1967年まで白人と黒人の結婚が許されていなかったんです。

ベンという黒人青年は、言葉遣いや英語の発音が綺麗なので、高い教育を受けていることがわかります。着ているカーディガンも、当時の大学生の服装です。ベンを演じていたデュアン・ジョーンズは、実際に名門NYU(ニューヨーク大学)の大学院生でした。彼は明晰な頭脳で、冷静にゾンビと戦おうとします。
それに対して白人のバーバラの方はもう放心状態で、まるで役に立たない。ずっと「兄さんが……兄さんが……」とか言ってるだけで。彼女の目を覚ますために、ベンが彼女にビンタします。このシーンで当時の映画館は大騒ぎだったようですね。「黒人が白人の女性にビンタをするなんて許せない!」と。1955年にはエメット・ティルという黒人少年が、白人女性に口笛を吹いたというだけでリンチされて殺されているんですから。

徹底的に「見せる」ホラー表現

この一軒家で、ゾンビとの攻防戦になります。
その撮影は、『カリガリ博士』の項で話すドイツ表現主義的、またはフィルムノワール的に光と闇のコントラストを強調しています。つまり伝統的なホラーの撮り方ですね。画面を暗くして、はっきりとは見せず、観客の想像力を刺激する。
ところが途中でベンが電灯のスイッチをつけちゃうんですよ。で、殺されたゾンビの頭に穴が開いてる様子をバーンと見せちゃう。1968年というのは、ハリウッドのセックスや暴力描写の自主規制コードが撤廃された年なんです。それまではダメだった、残酷描写も可能になった。だから、もう暗闇でごまかす時代は終わりなんですね。ロメロは次の『ゾンビ』で、すべての残酷描写を白日の下でモロに見せてしまいます。そういう即物的なホラーの時代に入ったんですね。

実はこの家の地下室には、他にも隠れている人がいました。
まず、トムとジュディという若い男女。2人とも白人です。彼は黒人のベンに「みんなで力を合わせて頑張ろう」と言います。彼らは、いかにもロックンロールが好きそうな若者ですね。あまり人種的偏見がなく、公民権運動とかベトナム反戦運動で黒人と共闘した若者たちの1人に見えます。そして、指揮を執るベンは公民権運動のリーダー、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師と重なります。

ハリーという中年男も出てきます。彼は最初から黒人であるベンを敵視します。あからさまに人種差別的なことは言いませんが、明らかに態度が差別的です。

核兵器の恐怖

ベンとハリーの間に論争が起こります。ハリーは「地下室に籠もった方がいい。その方が安全だ」と言います。ところがベンの方は「地下室だと襲われた時に逃げ場がないから、1階にいた方がいい」と反論します。で、1階の窓やドアを全部板と釘で止めてゾンビが入らないようにします。
この場面は何を象徴しているか? 「核兵器の恐怖」ですね。

1957年にソ連が、スプートニクという世界初の人工衛星の打ち上げに成功します。アメリカは、ソ連に宇宙から核攻撃をされるという恐怖に怯え始めました。それで1950年代には宇宙人が攻めてくる映画や、核兵器によって生まれた怪獣が出てくる映画が増えました。学校では核戦争が起こった時に机の下に隠れる練習をさせられたり、核戦争に備えて自宅の家の地下室に食料などを蓄える人も増えたんです。
ベンがテレビをつけると「謎の病気が流行っています。感染者に噛まれると人食いになります」というニュースが流れます。こういう臨時ニュースは、核戦争を描いた映画の中で必ず出てきますね。「核戦争が始まりました」というニュースを怯えながら見るシーンがある。そのニュースでは、死体がゾンビになって蘇る原因が「ロケット実験の失敗で放射性物質が撒き散らされたせい」と説明されます。当時、アメリカはソ連と宇宙開発で競争していましたが、実は同時に核ミサイルの開発競争でもあった。だから、この映画でのゾンビは核戦争の恐怖とつながっているんです。

サイレント・マジョリティ

ベンたちを襲うゾンビですが、スーツを着ているゾンビは少ない。これはピッツバーグという街が工場労働者と農民が多いブルーカラーの街だからです。それに、このゾンビたちは全員が白人で、中年以上が多い。つまり、この映画のゾンビは白人ブルーカラーなんですよ。

1968年は白人ブルーカラーの政治的大転換があった年です。
白人ブルーカラーはアメリカのマジョリティ(多数派)でした。そして彼らはずっと民主党の支持基盤でした。民主党は結成以来、南部の白人のための党だったんです。また、1930年代から民主党のルーズベルト大統領が主導したニューディール政策では、富裕層から高い税金を取って、それを道路や橋建設などの公共事業で労働者に再分配することで貧富の格差是正を図ったので、労働者、特にピッツバーグに多い白人移民労働者から、民主党は圧倒的な支持を集めました。

しかし60年代後半、民主党に亀裂が広がっていきました。まず、ケネディ大統領がキング牧師の公民権運動を支持し、それを引き継いだジョンソン大統領が人種隔離を撤廃し、黒人に選挙権を与える法案を実現してしまいます。それに反発して、南部の白人の民主党離れが始まります。

また、ベトナム戦争を始めたのはケネディとジョンソンなので、民主党の主流派は戦争を続けようとしました。先述したように、白人ブルーカラーは反共なのでベトナム戦争支持です。しかし都市部の中産階級やインテリ、学生はベトナム戦争に反対し、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』公開直前の1968年7月のシカゴ民主党大会で、ベトナム戦争を継続しようとする主流派と戦争に反対する左派が激突して、流血の事態になりました。

その時、白人ブルーカラーの支持を民主党から奪って大統領選挙に勝ったのが、共和党のリチャード・ニクソンだったのです。
ニクソンは、白人ブルーカラーの人たちを「サイレント・マジョリティ(声なき大衆、声なき多数派)」と呼びました。
つまり文化人やマスコミやデモの学生たちは「ベトナム戦争には反対だ」、「黒人に人権を与えよう」と主張するけれど、実際は彼らの数は多くなくて、はっきりと政治的な主張をしない白人のブルーカラーの方が人口は多い。それをニクソンはサイレント・マジョリティと呼んで「彼らは私を支持してくれる」と言った。で、選挙の結果はまさにその通りだったわけです。

つまりそのカウンター・カルチャーと言われた1960年代の社会革命は、実は都市部のインテリと学生たちだけのもので、アメリカの田舎に住んでいる白人ブルーカラーたちは頑迷でアメリカの変革を受け入れなかった。彼らが1968年の選挙で勝って、そこで変革はストップし、揺り返しが始まります。
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のゾンビたちは、まさにサイレントマジョリティそのものに見えるんですね。とにかく数が多い。しかもみんな黙っていますから、まさにサイレント・マジョリティですよ。しかも、そのゾンビと戦うのは黒人と白人の若者なんですね。

時代に取り残された「地球最後の男」

ロメロは「『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のアイデアを思いついたのは、リチャード・マシスンが1950年代に書いた『I Am Legend』という小説を読んだからだ」とはっきり言っています。『地球最後の男』(早川書房)というタイトルで翻訳も出ています。ウイルスのせいで地球人類が吸血鬼になってしまった世界で、たった1人で孤独に戦う男の話です。
吸血鬼は昼間は眠っていますから、主人公は毎日、彼らを殺して回ります。そうしているうちに主人公は気づきます。吸血鬼たちが彼らの社会と秩序を築き、新しい人類になっていることに。そして、吸血鬼を殺し続ける自分は彼らにとって「伝説の怪物」なんだと。2007年にウィル・スミス主演で映画化された『アイ・アム・レジェンド』は当初「主人公が、自分がしていたことが社会の変革に取り残された旧人類のあがきだったと知る」という原作通りの結末でしたが、撮り直されて、旧人類に希望を残す結末に変わりました。

『I Am Legend』の著者リチャード・マシスンは第二次世界大戦に参加した「サイレント・ジェネレーション」と呼ばれる世代で、戦後の社会の変化についていけない男の無力感を体が縮んでいく男にたとえた『縮みゆく男』(扶桑社)という小説も書いています。

『地球最後の男』はまず1964年にヴィンセント・プライス主演で映画化されました。ヴィンセント・プライスは風格がある俳優で、貴族や大富豪の役を演じることが多い人です。一方で吸血鬼たちは、黒いタートルネックを着ていて、これはおそらく『カリガリ博士』の眠り男の影響だと思うんですが、『地球最後の男』が作られた1964年には黒のタートルネックには別の意味がありました。ビートニクスと言われる左翼的な学生たちのファッションだったんです。だから『地球最後の男』の吸血鬼たちは若くて、主人公のヴィンセント・プライスは中年紳士なんですね。つまり、ベビーブーマー(団塊の世代)と旧世代のエスタブリッシュメント(既得権者)との戦いに見えるんです。

『地球最後の男』は1971年にもチャールトン・ヘストン主演で『地球最後の男オメガマン』というタイトルで映画化されています。その場合、チャールトン・ヘストンが白人の軍人で、襲ってくる吸血鬼たちはほとんど黒人なんです。これは当時、「ブラック・パワー」と呼ばれていた黒人たちの過激な政治運動に対する、白人の恐怖感が露骨に反映されています。
そんな『地球最後の男』にヒントを得てロメロが作ったのが『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』ですから、当然、当時の社会を映したホラーになるわけです。

(この続きは『町山智浩のシネマトーク 怖い映画』でお楽しみください)




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